カンバスの家 |
スラムに住む友人の一人であるカンバスは、夜は警備の仕事(アスカリ)をし、昼は空き缶を使ったケロシン・ランプの職人として働いている。先の学費の相談はこのカンバスの子供たちからの要請だった。30年もの間、このスラムに住み続けているので、いろんなことを知っている。スラムの顔役の一人だが、決して偉ぶることはない、非常に謙虚なオヤジである。
外部からくる人間にはえらくぶっきらぼうなのだが(かくいう私も、当初は彼の無愛想な態度にどうアプローチすればいいかわからなかった)、子供たちには好かれている。今回、私が珍しくデジカメなど持ち込んできたこともあって、撮れ、撮れと子供たちがカンバスの家の庭に集まってきた。
子供たちはカメラの前では自らがさながらスターであるかのように振舞う。三枚目の写真にあるのはファルークと呼ばれる男の子。イスラムの子なのだろう。体がやわらかく、見事な回転飛びをして、こちらにアピールをする。
こういうところに住んでいるから、いろいろ苦労しているのかもしれない。こないだ聞いた話では、父親は外に出たまま、何をしているか分からず帰ってこない。母親は昼間に働きに出かけていて、子供をかまってやれないというものだった。それと写真の中の子供たちの何人かは片親がなにかの理由でいない。
でも親がいないとか、学校に行く金がないとか、そんな話はここカンパラではありふれた話である。子供たちはぼろ着をはおっているが、それでもかれらが日曜に教会に行く時(あるいはモスクに行く時)、炭火を使ったアイロンでしわのないきれいな服を着て、外に出る。教会(モスク)から帰ると、再び子供たちはボロをまといながらも、狭いスラムの中を走り回り、お互いの名を呼びあい、時にはののしりあいながら、カメラの前に集まる。
「貧しさ」という言葉一つで語れない多様さや、ある意味豊かな生活の色彩というべきものがここにはある。