フェーズ5 |
WHOが「豚インフルエンザ」感染症の警戒レベルをフェーズ5に引き上げた。
私がいま働いているのは、こうした国際的な情報によって強く影響を受けざをえない場所である。本来であればフェーズ4の時点で退避勧告が出るはずだった。現実的には、弱毒性の感染症と言うこと(メキシコ国外での二次感染での死者はいまだに出ていない)、そして日本への一斉帰国退避というパニックを恐れて、とりあえずそういう処置は保留となっている。
だが、このフェーズ5の状態で、アフリカにも感染が飛び火し、ウガンダで感染者が出た場合、われわれの仕事の契約も打ち切りになり、日本に帰国となるという。そういう話も、いまの職場ではちらほらと語られ始めている。
面倒くさいものだと思う。もちろん、ウガンダでインフルが流行った場合は、予防措置とか治療とかはいろんな意味で限られている。国外退避勧告がでるのは、外務省からしてみたら自然なことなのだろうとも思う。
ただ、国ごとに決められた保健基準というもの、そしてWHOが出す国際基準というのも変な違和感がある。たとえば、私は俗に言うマラリア感染地域に住んでいて、帰国しても一年は献血が許されていない。それだけでなく、90年代の半ばにイギリスに1年ほど滞在していたため狂牛病の潜伏期間にあるとの恐れから、一生涯献血が許されない(この時期にイギリスにいた人間はみな同じ扱いである、ちなみに)。
病のグローバライゼーションとかいうものは、病の恐れもまた共有するシステムである。病を運ぶかもしれない外来者を、他者を恐れるシステムでもある。
他者を恐れることを回避するために、いろんな社会的な機能があるものと思う。写真にあるのはウガンダの西端のブンディブジョの呪医の男性。身にまとっている豹皮は呪医の証であるものだというが、市場では100,000ウガンダシル(日本円で5千円ほど)で購入が可能だという。呪医は村の妬みや嫉み、憎しみ、怒りを病として社会構築し、それを(可能であれば)取り払う役割を持っていると、人類学的には考えられている。(だがその一方で、アフリカの呪医は他者を恐れることを先導する役割を持つものなのかもしれない。)
病や災害への恐れが、他者への恐れに繋がるというのは昔から何べんとなく繰り返されてきた話。いくつかそれをネタに論文を書いてきたような気がするが、いつのまにか自分がそういう事態に巻き込まれつつあるというのは、すこし不思議な気がする。
ただ、ウガンダの人々は暢気なもの。職場でも、ウガンダ人のスタッフは日本のスタッフが何を恐れているか分からないとのたまっている。フェーズ5というのは、たとえ世界的にシェアされた基準だと言われていても、かれらにはとんとピンとこないものだ。ウガンダの基準は国際基準では決してない、確かに。だから国際基準は「世界」の基準ではない、おそらく。
でも、その基準に右往左往される。右往左往されるのは私自身がそういう情報にナイーブだからなのか、それともそういう場所にいるからなのか。