カンパラでの結婚式(1) |
ウガンダ人の友人に聞くところによると、カンパラでは結婚を決めた若者が、両親にその旨を伝えるとき、両親はまず相手の名前を自分の息子/娘に尋ねるのだという。そんなのどこの国でも一緒だろう、という人もいるかもしれない。だがこの国では「名は体を表す」ことを忘れてはならない。
もし彼女の名前がアイシャ・アシイムウェだったら、彼女は、イスラム教徒で西の民族であるアンコレの出身だということが分かる。あるいは、もし彼の名前がキジト・セマクラであれば、彼はキリスト教(カトリック)で、(とりあえずは)ガンダ人であることを示している。さらにはセマクラというクラン名から、ルガヴェの氏族に属していることも分かるだろう。あるいはもし彼の名前が、ポール・オドイだったら、東方テソのキリスト教徒で、という風にこれらの名前からの類推は続いていく。
気をつけなくてはならないのは、この出身の民族と宗教、そしてクラン―氏族―の違いが、家族たちのもっとも大きな関心となることである。そして、もしこの三つが家族の希望に違えることとなれば、場合によっては結婚は許されない。ウガンダの家族たちは、自分たちと同じ民族で宗派(同じキリスト教でも英国教徒とカトリックでは違う)のものが結婚相手に望ましいことを、言葉に出さずとも祈っている。そして、同じ民族内の場合には、父方のクラン(つまり結婚するものの出自クラン)はもちろん、母方のクラン出身のものであってはならない。それは近親婚と見られ、親族のすべてを敵に回すような行為となりうる。
あるいはカンパラでは、もう少し大きな括りで語られるかもしれない。バントゥー系ガンダ民族を中心とする中央出身の人間は「中央人」、これまた同じくバントゥー系である西のアンコレ、トロなどの新興民族は「西方人」、東のテソ、ギスなどの後進地域出身の人間は「東方人」、そして、アチョリ、ランギ、西ナイル出身の人間は「北方人」と語られる。そして一般的に中央と西方の人間たちにとっては、東方人や北方人は結婚の忌避の対象となりうる。植民地期以降の歴史、紛争、貧困などが作り上げてきた一種の「人種」観がそこに反映されているが、身近に紛争を体験してきたかれらやかれらの親たちにとっては、その「人種」観は切実なものだ。そして、これは宗教の文脈でも同じことがいえる。
さて、交際から二方の両親の賛成を勝ち取って、結婚を決めるまで、非常に長い経緯の手続きが必要とされる。そして出自民族ごとによって、結婚相手の親との交渉の仕方も様々なのだが、ここでは主に結婚が決まった後の、バントゥーの人々の間によるキリスト教会(特に最近カンパラでの興隆の激しいペンテコステ派のもの)での結婚の執り行い方を簡単に見てみることとしたい。
「結婚式」と呼べるものは、カンパラでは三つの文脈があり、それぞれ言い表される言葉も違う。まず役所で届け出を出し、地域の役場の首長に祝ってもらうというもの。これはカンパラでは非常に例外的な結婚のあり方だが、これを「シヴィル・マリッジ」と呼び、欧米的なやり方だが、貧しいものしか行わないと否定的に語られる。そして、親との了解を得ていない「駆け落ち」結婚的な意味合いも含まれる。
二番目にあるのは伝統的結婚式、別名「紹介の儀」である「オクワンジュラ」である。そして最後にあるのは教会での結婚式である「オクガッティグワ」で、この言葉は広い意味で「結婚」そのものの意味も指している。この二つの「結婚式」は公的に欠かせないものだ。従って結婚式を行うというのはカンパラではこの後者二つのどちらか、もしくは両方を指していると言っていい。
結婚するもの同士が、親戚らと相談しながら結婚の日取り(大抵は参加者の出席しやすい週末が選ばれ、お金の集まりにくい小中学校などの学期の開始時期は避けられる)を決めると、結婚を予告するカードが関係者各位に配られる。これをプレッジカードというのだが、これには結婚式の「通知」、それへの「招待状」の意味だけでなく、結婚資金の「集金」の役割(出資する約束であるpledgeから来ている)がある。
結婚の日取りは、お互いの個人・家族の裕福さにもよるが、大抵は一週間ほどあけ、別々の場所で、二回にわけて執り行うことが喜ばれる。一度目はオクワンジュラ。これは花嫁の出身農村にて、花嫁方の家族の主導で行われる。二度目はオグガッティグワ。二人の出会った、あるいは縁の深いカンパラでの教会にて。若いカップルだと準備のお金をそれぞれに十分にかけられないとの理由で、同じ日、同じ場所で午後の早い時間にオクワンジュラをすませ、そのまま早足で夕方に教会での結婚をすませてしまうというものもなくはない。もちろんこれは結婚式を楽しみとする年配のものたちにはかなり受けが悪いし、のんびりを信条とするウガンダではリスクの高いやり方でもある。ウガンダではなぜか夜5時以降の結婚を禁じる法律があり(おそらく必要以上の駆け落ち婚を抑制する目的であろう)、場合によっては教会での結婚式がキャンセルとなってしまうこともあるからである。
結婚の日取りが決まり、プレッジカードが配られ、二人の結婚が告知される。そうすると、これまた数ヶ月もの時間をかけて、親兄弟ばかりでなく、友人一同を巻き込んだ結婚への準備が始まる。プレッジカードが結婚資金を集めるものであることはすでに伝えたが、これを渡された友人たちは任意の金額をカードに記し、花婿・花嫁それぞれに渡さなくてはならない。ちなみにプレッジカードは二種類あり、渡されたものが花嫁側の友人である場合は、オクワンジュラの、花婿側の友人である場合は教会でのものを結婚式の資金の協力を求められるのだ。一万からニ万ウガンダシリングが目安とされるが、カンパラの平均給与が20万シリングもないことを知れば、これはそれなりの金額であることは容易に想像がつくだろう。
あるいは、プレッジ・カードにこう記されている場合もある。「毎週○曜日午後7時からミーティングあり」と。これも花嫁側がオクワンジュラを、花婿側が教会の結婚準備の資金を集める集会でもある。カンパラの街角を夕方に歩くと、喫茶店やホテルの軒先で、10人から20人ほどの人々が、一人の議長を中心に集まって、ああでもないこうでもないと話し込んでいるのを観察することができる。これらは大抵は「結婚準備集会」であると考えていい。参加者には、それぞれの結婚式の予算がプリントされたものが配られ、料理に使うジャガイモ、カボチャ、マトケなどの単価と総数、花嫁/花婿の衣装代、飲み物のソーダの数、ビデオ記録などの依頼費、結婚式司会への謝礼費などがこと細かく記載され、集会の参加者たちに分担が求められる。
お金をそれぞれに出すことを求められるのだから、楽しく行うに越したことはない。また決まった恋人のいない若者たちにとっては、こうした結婚準備集会は出会いの機会でもある。参加者それぞれがいかに結婚する友人のためにお金を捻出する工夫を凝らすか。たとえばあるものがバナナを一束持ってきて、無料だと参加者に配る。一時間以上もの会議につきあう参加者はそれを喜んで手に取るのだが、後に配った本人から、「バナナ自体はタダだが、皮を捨てるのに一人千シリングの経費がかかります」と厳かに伝えられる。あ、しまった騙された、と思いつつ、そうしたちょっとしたお金を友人の為に笑って払うというのも、参加者の器量を試すものだ。(この項、続く)
(写真は2007年5月25日にフォートポータルにて撮影。「オクワンジュラ」の風景。)