追憶の効用、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」について |
フジテレビの深夜のアニメ放送枠、ノイタミナとはanimationを逆さ読みしたnoitaminaから来ているという。従来のアニメ観を覆そうという意図から来たらしい。そして、今回に取り上げる「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」は、そのノイタミナ枠現在放送中のアニメ作品で、秩父市を舞台に、16歳の高校生の男女たちの群像劇である。
第一志望校の受験に失敗し、滑り止めに受けた近所では「底辺」にあるらしい高校へ、入学して一週間後に不登校となり、ひきこもりがちな生活をしている宿海仁太(じんたん)。彼の母親は数年前に病死し、今は父親と二人暮らし。暑い日差しが照りつける夏のある日、そのじんたんに10年前に死んだはずの幼なじみ、本間芽衣子(めんま)の幽霊が、美しく成長した16歳の姿で現れる。
幽霊といっても、じんたんにはめんまは質感のある普通の少女だ。だから、彼一人だけラーメンを食べようとするじんたんにめんまは食い下がり、背中をたたいたり、彼の膝上に座ったりもする。だが、彼以外にはその姿は見えない。その声も聞こえない。じんたんはその少女を、自らのストレスが創り出した妄想、夏のケモノと呼ぶ。
なぜ現われたのか、彼は彼女に尋ねる。彼女はその理由を知らない。ただ、彼女曰く、かなえてほしい願いがあるのだと。そしてその願いは、10年前に集まっていたあの仲間がそろわないとかなわないのだと。
幽霊である少女は、自分が死んでいることを知っている。10年前に、6歳の時、ふとした拍子で崖から落ちて死んだ。仲間たちから、彼女が好きなのだろうとからかわれ、めんまに暴言を吐いて駆け去っていくじんたんを追っかけているときに、川に落ちたのだろう。その時から、彼女の死は皆の心の底に食い刺さって、誰もがその過去に向き合えないまま10年が過ぎてしまった。
じんたんは、あの時は何でもできた。6人いた子供たちのグループのリーダーだった。「超平和バスターズ」と名前をつけたグループと山の中に隠れ家を作って、いろんな遊びを発明し、誰よりもすべてに先んじて、生き生きとしていた。
だが、めんまが死んだ後、全てが変わってしまう。じんたんに想いを寄せていた安城鳴子(あなる)は、彼の高校での同級生になるが、不登校で引きこもりの彼を、高校でのケバい感じの友人たちの手前、見下すような素振りをしてしまう。優等生の松雪集(ゆきあつ)と鶴見知利子(つるこ)はじんたんが志望していた高校に通っており、じんたんを落後者扱いに。ただ、グループの中で一番チビでいた久川鉄道(ぽっぽ)だけは、体は大きくなっても、じんたんを昔のように扱ってはくれる。だが、彼にしても10年前のあの時のことを振り返るのは苦痛でもある。
10年前、何があったのか。忘れようとしても忘れられない。あるいは覚えていたつもりでも忘れている。過去の話は不思議である。無邪気な幽霊のめんまは無頓着に彼ら/彼女らに過去の話を思い起こさせる。めんまに想いを寄せていたゆきあつは、もっともそれに抵抗する。
あの頃に失われたものは、二度と戻らない。でも、過去を思い出すことで、取り戻す何かもある。もちろん追憶は甘美なだけではない。幼い時の醜い自分にも向き合わなくてはならない。思春期であるかれらにはそれがどれほどに難しいことか。
夏が過ぎ、秋へと向かう秩父市での自然描写も素晴らしい。アニメとは思えないほどの、風景描写。陰影の用い方。カットも、古い日本の映画などへのオマージュがところどころ見られ、映像の完成度の高さを感じさせる。
さて、9話までの現在、5人のかれらは、お互いにぶつかりあいながら、めんまが願っていたと思われる花火の打ち上げへと一丸となっていく。10月の秩父市の龍勢祭りがおそらく物語の最後を締めることになるのだろうと思われるが、まだめんまの本当の願いはわからない。そして、願いがかなえられたら、幽霊のめんまは姿を消してしまうのではないかとじんたんは危惧する。失いたくないと激しく思うが、その思いに対して彼は何をすればいいかわからないで、彼は幽霊のめんまを抱きしめる。
追憶が、かたちをとる。こんなことは現実世界ではありえない。だが、アニメで無邪気にそれを行ってくれる。これを一つの表現として捉えるには、もう少し社会も成熟している必要がある。この作品への影なる人気は、そこに日本ももう一歩であることを示している気がする。
(画像は作品から。A-1 Pictures制作。2011年4月よりフジテレビ・ノイタミナ枠などで放送中。)