ついていない日々、あるいは夏の終わり |
ついていないときは、とことんついていないもので、期待していた仕事の採用結果はボツ。さんざん締切を遅らさせていた原稿も落とし、なおかつ4か月前にケニアから送った荷物について、郵便局に問い合わせたところ、今の段階では荷物が送られてくることが絶望的であろうことを伝えられた。それらの荷物の中には数年かけて集めた現地での資料や、書籍などが入っている。
先の仕事が一週間でクビになったばかり。研究でも昔につるんでいた友人たちが、せめて打診ぐらいくれるかと思っていたにも関わらず、その声もなく、私だけ除いて海外でのシンポジウムを行う予定とのこと。そんなこんなで、それに関係している友人にも八当たりをしてしまう。
元はと言えば、すべて自分の「身から出た錆」なのだけれども、それを相手に責めてしまう自分の幼さ。あまりのみっともなさに、この数日、研究室にこもりボーっとしていた。本を読もうとしても中身が頭に入ってこない。しかもこの数カ月、妙な躁状態だったのか、借りてきた本の分野があまりに広範囲にわたりすぎ、いまなにかに集中して読もうとしても、何を知ろうとしているのか、自分でも皆目見当がつかない状況。
我ながら精神面で弱いやつだなぁと思って、すこし自分を突き放してみる。
思えば、あまりに言葉が足りずに、友人、知人に甘えてばかりいる自分に問題がなかったか。そうつくづく思い、街に出て、外の空気を吸う。外の空気を吸うこと自体、ここ数日でも力のいることでもあった。
国立の街の片隅に谷川書店という古本屋がある。いつもは自転車で通り過ぎるばかりだったが、たまたま今度はふと足を止めて立ち寄った。雨上がりの、まだ湿度の高く曇り空の夕方。店主は八十に近い老爺で、客がいなく退屈していたのか、私を相手にいろいろと話をしはじめた。H大学の歴代の名物教授たちをこじんてきにいろいろと知っているようで、言語社会学の大家のT中先生や、当方の専門のN島先生や、他の方々がいかにこの店に立ち寄るかの話を教えてくれる。国立では四十年も店を構えているようで、大学教授ばかりでなく、他の企業の名士の方々などの話もしてくれた。
国立は不思議な街である。大学町であることは間違いない。だが、この四十年もの間、郊外の高級住宅地として開発が進み、街の様を変えてきた。古いものが残ってはいるが、だがこの谷川書店にしろ、他のものにしろ、絵本の『ちいさいおうち』のように、時代の波にのまれ、新しく大きな建物の中に囲まれて、見えなくなってしまっている。それを掘り起こすのは、今日のように偶然に店に入り、偶然に退屈した老爺に話しかけられるか、根気よく歩いて探しまわるかしかないだろう。
退屈していた老店主とは一時間弱も話していただろうか。老人は四十年続けた商売のコツと人脈とを止めどなく話す。私も時に相槌を打って、時に行き先もなく広がっていく物語を遮って元に戻しては、耳を傾けていた。そうしてその老爺と話しているうちに、だんだんと自分の心がおさまっていくのが分かった。この一週間は、いろんなことが続き、まともに考えられない、そんな一週間だった。もしかしたら、これからもまだ続くかもしれない。でもこれ以上自分を見失うことで、何かを失ってはいけない。老人の話に耳を傾けながらそう思ったのだった。
おそらく、あいかわらずついていない日々は続く。これは終わりがない。それは、それを呼び込む性分だからでもあるし、またそういう時世だからでもある。性分を直せばいいことかもしれないが、それはそれで単純ではない。だが、いまできることはある。それをやろう。
聞くところによると、夏の盛りはもう終わったのだという。夏は終わったのだ。暦の上でも来週には立秋。秋が来る。私は夏のあの日差しをまた頭の片隅に置きながら、また一年を過ごすことになる。当分はついていないかもしれないが、まだこれは「最悪」ではない。私は、ついてないことを時にはぼやきながらも、歩き続ける。時には暢気な寄り道をしながらかもしれないが。。。
(写真は西武国分寺線鷹の台駅の構内にて。7月25日の朝に撮影。おそらく8月に入っても、写真のような日差しの日はいく日はあるかと思うが。。。)