ウガンダ、「反同性愛法」の成立と「内なる敵」の創出 |
(下記の文章は某所から頼まれて(「反同性愛法」を通して見る、ウガンダにおける日本の外交政策とODAの将来を占うようなものとして)書いたものなのだが、2600字の予定が3倍近くの分量となってしまった。とりあえずアップ。本来は6日が〆切日なのだが、これからあと3分の2以上を削るとなると、どうなることやら。。。)
毎年6月5日になるとカンパラ近郊のナムゴンゴはかなりの人出でにぎわう。ウガンダ滞在者にはある程度周知の事実であるが、ナムゴンゴには殉教者たちの記念教会があり、6月5日は1886年にアフリカで最初のそして世界で最後の殉教者たちの記念日としてある。当時のガンダ王カバカであるムワンガ2世が32名ものキリスト教者を火炙りにし、そしてこのことによって、イギリス(ひいては西欧列強諸国)が積極的な介入の必要性を決断するという、ウガンダの近代史では決定的な事件が起こった場所が、ここナムゴンゴなのである。
本稿で扱うのは、昨今に成立したウガンダの「反同性愛法」についてである。しかし、ナムゴンゴで奉られる殉教者たちの話から始めたのには二つの理由がある。それはまず、ウガンダではその殉教者について知らぬものはほとんどいないということ、かつ誇らしく国民の大多数がキリスト教的な伝統に身を任せているということ(ある統計によると東アフリカ地域では例外的に国民の80%以上がキリスト教徒で占められている)、いうなれば、かれらはアフリカ大陸でもっともキリスト教の正統性を引き継いだ民であるという自負がそこにはある点だ。
そしてもう一つの理由だが、この殉教事件は当時のカバカがキリスト教改宗者たちに行おうとした「同性愛的行為」が引き金となったといわれる点である。当時のイギリスからの宣教師たちはその行為を「ソドミー(肛門性交)」(旧約聖書にあり、神の怒りを受けて滅んだソドムの町から)として、強い反対と嫌悪感を示していた。その反対を受けて、カバカに従わない教徒たちが、王ムワンガ2世の怒りを被り、処刑されたというのが、この事件の発端とされている。
今回の事件で見られるいくつかの語り口として、「アフリカ的価値観」が「同性愛」を認めないということ、そしてウガンダでの「反同性愛」の成立が、かれらの未開的価値観を示しているというものがあるのだが、私が指摘したいのは、これらの語り方は、ウガンダの人々からするとまったく逆なものと認識されていることにある。かれらは敬虔なキリスト教徒であり、「欧米」的な価値観を全面的に受け入れているからこそ、この成立を指示するのであり、そして堕落した「ソドミー/同性愛」を拒否する姿勢こそが自らがキリスト教を通じて、「文明化」した証拠なのだと語るのである。
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もちろん、この法案が今の時期に成立したのは、上で述べたような「キリスト教的倫理観」が十分に成熟した、というようなことではない。他の重要な要因としてあげねばならないのは、後1年半後に迫っている国民総選挙(大統領選、議会選、地方議会選のすべてを含む)の対策が考えられるだろう。国際的には、あまりにスキャンダルめいたこの「反同性愛法」だけが注目され、そのことでウガンダ内政についての批判が寄せられたが、同時期に他に重要な(そして今までのムセベニ政権の政策理念をひっくり返すような)法案が通過している。そのうちの一つはウガンダ国内で認められている四つの王国の一つブガンダ王国に土地の権限を返上するものがあった。
実のところ、この法案は2006年のムセベニの三選以降、彼と彼の政党であるNRMがとり続けていた王国への政策にたいして真逆のものである。それまでは自らの出身地域である西部からの支持を大きく揺るがす中央部のガンダ民族とブガンダ王国支持派に対して、その実権を与えぬよう、王権制度に対しては厳しく対処してきていた。2011年の自らの四選直後には、ガンダ王はじめとする、文化的首長はすべて「文化的な代表」に過ぎず、政治的な権限はなにもないことを付す法案も成立させ、反ムセベニの機運をすべて封じてしまったかのように思えたものである。
またこれだけでなく、国内のさまざまなサービスを担ってきた国際NGOを監視し、規制する法案も先日に通過した。このことによって、ムセベニ政権は「反同性愛法」を機に生じた国際的な市民運動をも排除する方向へと移っていくことになるだろう。
こうした強面的な政策は、すべて自らの政権を支える軍や警察力に支えられてきていることは指摘した方がよいだろう。未だに落ち着かないソマリアの動乱、2010年7月11日に起きた爆弾テロ、そしてコンゴ民主共和国への継続的な資源をめぐる政治介入、これらすべてがムセベニこそが、という機運を(結果として数十年にわたって)もたらしてきた。そしてそれは国内だけのものでなく、国外からの期待も同様だといえる。
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ウガンダの地政学的な状況を改めて説明すると、この国が大した資源もなく、また資本の蓄積も未熟であるにも関わらず、例外的に国外からの支援を受け続けてきたということに多少の納得がいくだろう。
まず、北の国境には2011年に独立した世界でもっとも若い国家である南スーダンが存在する。この国の持つ石油資源と利権へのコネクションについてのウガンダ政府の役割は、ムセベニ政権が独立以前から武力支援を送り続けてきたことを考えると、とても無視できないものであろう。
ソマリアについても先に述べたように、AMISOM(アフリカ統一機構ソマリア特派軍)などへ戦闘経験のある部隊を派遣できるウガンダの軍事力の影響は非常に強い。カガメ率いるルワンダ共和国とそして資源をめぐるコンゴ民主共和国の現状についてもウガンダの果たす役割は余りに深い。また内戦が続く中央アフリカに対しても、またコンゴ北部で活動を続けるLRAに対しても、鎮圧のための大きな布石としてウガンダは位置している。つまりウガンダはいうなれば戦乱渦巻くアフリカ大湖地方における台風の目ともいえる存在で、四方に目を配る地域的な要としてあるのだ。
そうした地政学的な背景をもとに、かつムセベニが1986年のゲリラ戦から勝ち上がり政権を奪取して以来、国際的な協調とともにとり続けてきた「アフリカにおける構造調整の優等生」による政策(エイズ撲滅運動、地方分権化、内戦の遺産であるLRAの放逐とその後のウガンダ北部の平和構築など)によって、90年代、そして2000年代、ウガンダは欧米先進国からの理想的なレシピエントとして扱われ、多大な国際資金を集めてきた。2011年の時点では国庫予算の4分の一が海外からの援助によるものと報告され、その依存度が示す病的な数字に危惧は寄せられるものの、信頼に値する国家として(一応は)見なされていたのである。
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だがそれではなぜこのような「暴挙」に出たのであろうか。北欧諸国をはじめとして、欧州の数カ国はこの法案の成立に露骨な嫌悪感を示し、支援の引き上げを示唆している。ウガンダにしても、この法案成立によって失うものは大きい。先程に述べたように国内の(特に地方議会など自治体関連は)国際的な援助によって予算が成り立っている地域が多く、援助の引き上げによって内政は大打撃を受けるだろう。ちなみにこのことに対するウガンダの最大の支援国であるアメリカの姿勢は、一貫して厳しい。たとえば2009年に同様の法案を成立させようとした時期、当時の国務長官であったヒラリー・クリントンからムセベニ大統領に対して直接の電話でその法案成立に対する危惧と交渉とが一時間近くにもわたって話されたという。このことは当時のアメリカの危機意識を示すだけでなく、ウガンダの市井の人々が自分たちの政治がアメリカの関心を買ったことに密かに自負心を植え付けてもいた。そして2011年に起きた国内でのLGBT活動者への殺害とそして今回の成立とで、オバマは遺憾の意を示し続けている。
ではどうして? なぜこの時期にこの法案を通さねばならなかったのか? ムセベニはこの状況を想像できなかったのか? あまりに反動的な法案を通すほどに、そして国民の(キリスト教に基づいた)感情的な支持を受けるためだけに、ムセベニはそのような決断をせねばならなかったのか?
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結論からいうと、筆者はこのムセベニの「反同性愛法」署名を、非常に時宣を鑑みた戦略的な決断であったと見ている。おそらくはあのタイミング以外には成し得ず、そして彼の2016年の選挙戦略として欠かせないものとなるだろう。なぜか?
まず国内の状況を見てみよう。ウガンダでは2007年以降、国内での石油採掘開始から妙な好景気に支えられ、安定した経済成長を果たしてきた。その反面、新自由主義的な傾向もあいまって、都心を中心としたすさまじい貧富の格差、そして政治家たちの放埒な汚職状況を生みだし、自らの支援基盤は常に揺れている状況にある。
特にウガンダでの汚職の状況は深刻で、公けには禁じられつつも、それが常に権力を確認する手段として認められ、政権与党の幹部たちの汚職は連日新聞を賑わしてきた。ドナー諸国もこの現状については問題視し、2006年のムセベニの三選後、あまりに苛烈になる汚職のあり方について苦言を呈し続けてきたことがある。特にアイルランドは自らの援助コードを用い、国内の業者をほとんど使わずに施工を行うなどの徹底ぶりであった。にも関わらず状況が収まらないことに業を煮やし、今年1月に援助の引き上げをウガンダ政府に通告したばかりであった。
これに対し、ムセベニは無為無策であった。なぜなら「汚職」を通してなされる国際資金の「ウガンダ国民」への再分配は彼にとっては権力の源泉の一つであるからだ。また汚職のスキャンダルにまみれた大臣たちは、ゲリラ戦以来共に闘ってきたもので、ムセベニの腹心ともいえる。かれらを下手に切り捨てようとした場合、彼自身を含むスキャンダルを暴露されかねない危険性がある。政治的に最大の敵となった野党FDC (Forum for Democratic Change)党首のベシイジェが、以前はNRAの一員であり、ムセベニの同盟者であった例がからも、同じ危険を冒すことはムセベニにとってはできない相談にもなろう。
しかし、だからといってこのような汚職を野放しにし、新聞を賑わすのは自らの権利の正統性をゆるがせにすることであろう。かつ都市部に広がる貧富の格差の拡大は、大衆的であり続けたムセベニの支持も危うくさせる。過去数年に起こった大規模なデモは土地問題や王権制度の問題を発祥にしつつも、実際のところは格差や高い失業率に対する激しい抗議活動であることも知られている。また新興国である南スーダンの景気やその他の諸要因によって、カンパラ、ひいてはウガンダ国内の物価が恒常的に上がり、市民の生活を逼迫させる状況がここ数年続いてきていたのである。ムセベニとしてはその市井の不満を抑えつけるだけでなく、どこかに向けさせなければ、次の選挙で痛烈なしっぺ返しを受けることは間違いないのである。
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この事態に対して、ムセベニ政権にとって「幸運」であったのは、おそらく昨年の10月以来騒がせている南スーダンのクーデター未遂事件と内戦に突入寸前の紛争状況とがあるだろう。このことは、ムセベニが汚職の悪化やガバナンスの低下などによる国際社会からの圧力を跳ね返す、国際的地位の重要性を復調させる契機でもあった。実際に南スーダン治安安定化のためにウガンダ政府はUPDF(ウガンダ人民国防軍)を派遣し、その存在を国際社会に改めてアピールをする。実際に、南スーダンのSPLAの高官がウガンダと比べものにならないほどに汚職にまみれていること、そして地域の利権に絡んでいることを考えると、ムセベニの介入は石油利権などで事態の安静化を望む欧米諸国にとって、とても捨てがたいものと目に映ったことであろう。たとえ国内の汚職状況が改善しないとはいえ、そして人権問題が悪化しようとはいえ、ウガンダは東アフリカ地域の「バランス・オブ・パワー」に欠かせないカードなのである。
さて為政者の常として民衆に対して心がけるのは、「外にいる敵」と戦いながら、同時に「内なる敵」と闘う自らの姿をアピールすることであろう。ウガンダの場合、外にいる敵とは物理的に兵隊を出して戦っているということもさながら、ムセベニが選んだ戦略は、自らの倫理観をもとに人権侵害や、ウガンダの人々を潤す大事なエコノミーの一つである「汚職」などを非難する「堕落した欧米」を「外にいる敵」したことである。それと同時に彼がこの法案署名によって行ったのは「キリスト教」的な倫理観を違え、未来を担うアフリカを「内から蝕む」であろう「同性愛者」たちを「内なる敵」と定めたことにある。これによって、ウガンダは「欧米」が捨てた「正しい」キリスト教的倫理を受け継ぎ、そしてそれを率先することによって「アフリカの正しいリーダー」として振る舞うことを自らに課したと言える。つまり、ムセベニはこの法案の署名を、ドナー諸国がウガンダに対して声高に非難しようとも決して無視できない時期に、絶妙のタイミングで、自らの国内の地位を確立する布陣を敷いたといえるのである。
このことに対してドナー諸国の反省は何点か述べられるだろう。まず、「人権」をはじめとして、欧米中心の「開発政策」など主導権を握り続けてきたことによる反動の結果だということ。そして、その反面ウガンダ軍とムセベニの軍事的なプレゼンスについて、東アフリカではかなり依存的にならざるを得なかった状況。また2000年以降、顕著になったアメリカからのキリスト教原理主義流入の影響も指摘せねばならない。教会やそれが支援するNGOの活動がウガンダで活発化するにあたり、それがウガンダの自律性をじわじわと浸食する状況を、ここ十数年国際社会は築き上げてきた。そのことに対するアフリカ的価値観(もちろんこの価値観が植民地的な状況によって捻れたかたちで育成されてきたことはいうまでもない)の復古を促したことは否定できないであろう。つまり、自ら蒔いた種の結果として、今回の事件はドナー諸国の前に立ちふさがっているといえるのだ。
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さて実際のところ、このことによって巻き起こる状況について考えてみよう。おそらく欧米のドナー諸国はこの「反同性愛法」の成立という、あまりにスキャンダラスな事態に対して、非難の声を上げつつも、具体的には援助資金の部分的引き上げという対処しかできないであろう。なぜならムセベニ政権をその政策から遠ざけることは、みずからの東アフリカでの利権や政治から遠ざけることにつながるからである。反面、援助の一部引き上げやNGOの規制なども鑑みて、地方分権化などによって促進された地方自治体などは財政苦難に陥り、悲鳴を上げていくことになるだろう。それによって、中央政府は再び地方政府への影響力を(以前以上に)強め、地方分権制とは名ばかりで中央集権の色彩を強めていくことになるだろう。
このことから当然考えられるのは、今まで以上の「汚職」の激化であろう。国際支援やNGOからの資金口が限られるとなると、その残ったパイにどん欲に地方の官吏が飛びつくのは目に見えている。また「反同性愛法」を基準に、警察権力の私的な生活への介入は正当化されていくことになる。特に外国人援助関係者やビジネス関係者は、警察が取り締まることで、以前から彼らが持ち込んだ貧富の格差を是正することとなり、国民の鬱憤を晴らすこととなるだろう。
そうしたことを考慮すると、30年近くにわたり、繁栄し続けてきたNRMを中心とするムセベニ政権はだんだんと全体主義的な傾向へと向かい、権力が持つ末期の状況へと移行していると指摘することもできる。ウガンダは現在、選択的に資源を集中させ、アフリカの近代国家のリーダーとして国内での全体主義を完成させようとしているといえるかもしれない。
だがその事態についてはいくつか異議を差し挟む必要がある。たとえばムセベニが現在公称70歳(実際にははるかに年配であるという「噂」も存在する)ということだが、その高齢は彼がいつまでも自らの権力を維持することが困難になってきていることも指し示している。その証拠に、いままで強権的に接してきた王権制度に対して一種の妥協を示してきたこと、また国際的なドナーを一部切りながらも、幻影として内にも外にも「敵」を創り出さなければ支持を保てないことにも表れている。ムセベニは巧みな支配者だが、ある意味状況に追いつめられた為政者でもある。彼が統制してきた政治的要因(腹心の政治家たち、国際情勢)もだんだんと彼の手を離れようとしている。そのことに彼の力の限界を指摘することも可能であろう。
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これらのことを踏まえた上で、さて、日本のODAはウガンダという国家に対してどのように臨めばいいのだろうか。まず指摘せねばならないのは、きたるべく「汚職」の激化に備える必要があることであろう。いままである程度素通りさせてきたとはいえ、今後のウガンダでの援助の施工では生き馬の目を抜くような苛烈な腐敗が蔓延することになる。それに対処しなければ、援助事業は空洞化し、外交政策の意義も薄れていくことになるだろう。
また「同性愛者」やLGBTなどの性的マイノリティーに対しての配慮も(慎重に)付け加えていく必要がある。逮捕の正当性や警察権力の野放図な拡大に対して、自らの市民や他国の市民の安全を確保するために、外堀から埋めるように問題を指摘することがよいであろう。今回の「反同性愛法」について、欧米ほどに(残念ながら)こうした人権問題について意識的でない日本政府は、独特の外交ポジションを保っている。とはいえ、この「人権問題」をまったく無視することは、ドナー諸国の足並みを乱すことになりかねるし、またムセベニのこの政策では「外国人」をすべからく敵視することで、自らの援助関係者や貿易関係者も「濡れ衣」的な状況で罪を着せられることもないではないのだ。もちろん、これを「人権問題」として声高に反対することは、ウガンダ政府の内政の意図を見逃すばかりか、彼らの正統性を逆に強めることにも注意が必要であろう。前述したように、かれらはかれらこそが「正しいキリスト教的/近代的」な価値観を継承した結果、この法律を成立させたことを主張するだろうからである。
そのことから言えるのは(これは以前から言われてきたことであるが)日本のODAの歴史を踏まえながら、独特の倫理コードを明文化し、ウガンダをはじめとしてODA援助をアフリカ諸国に示すことでウガンダ経済の歪みを限定的に是正していくことである。つまり今回の「人権問題」では「名より実を取る」ことに専念し、「外的介入」という認識をさせずに、「分配の公平性」を訴えていくことであろう。もちろん、これは言うは易く行うは難い。だが、いままで「与える」ことで政治干渉を行うという、古典的な援助政治のやり方は様々な面で綻びを見せている。ODAは、ことにウガンダという国に対して、戦略的に用いられるばかりか、高度な局地的な戦術を用いなければ有効に活用できない、そのような時期にきているのである。
(写真はナムゴンゴにある殉教者記念堂のもの。"http://ugandatourpackages.com/uganda-safaris/short-tours-uganda" から借用。館内は当時の状況を再現した記念館のような構造になっているという。)