『テソ民族誌』の40年後 |
今回の東部出張では、主にテソの地域を回った。
5日間で9つのプロジェクトを見てまわるという、例によってまたなかなかハードなスケジュールだったのだが、カタクウィ・ディストリクトでの教育案件の中に、ウスク女子小学校の校舎建設の要請があり、今回は仕事がてら、昔に世話になった長島信弘教授の調査地「ウスク・サブカウンティ」を訪れた。ウスクは長島さんが1972年に中公新書で出版した『テソ民族誌』の舞台である(現在は絶版)。
ちなみに昨年にテソに訪れた際に、出会ったカトリック教会系のNGOの代表であるジェロームが、長島教授の調査助手であったオニャのハトコであるということが判明。その縁で、今回はオニャの兄弟たちである、オジイロットとオコリモにウスクで出会うことができた。オジイロットは実質的に長島教授のテソでの後見人だった方で、オコリモも調査助手のオニャと一緒に長島教授の調査を手伝ったと聞いている。
長島さんのテソ再訪、そしてオジイロットとオコリモが現在住んでいるアチョワ村での話は、東北学院大学准教授のU氏の「アチョワ事件簿」(『アリーナ』中部大学国際人間学研究所、2007)に詳しい。その話は1998年から1999年ごろの話だが、JICAとの事業がいろいろな経緯で流れた話や、長島さんに巻き込まれた数々のアフリカ研究者たちのテソの訪問によって、彼らの「日本」観がここ十数年で大きく変わったことであろうことは、想像に難くない。ただ、長島さんは当時、多くの一橋の院生をこの地に連れてきたのだが、その中で研究を続けている者は私とU氏だけであろう。
長島さんが訪れた1969年前後は、ちょうどオボテからアミンに政権が変わるところで、その後20年もの間、長い内戦をウガンダは経験することになる。調査助手のオニャはこの間に軍の人間にリンチを受けて、亡くなったという。私はそのことを15年前にテソに向かう車の中で長島さんの口から聞いた。テソは元来、東部での反中央の要であり、そのために政府軍、反政府軍が入り乱れ、次の日にはどちらが「政府軍」で「反政府軍」かどうかわからない、そんな状況が続いていたという。そのためか知らないが、ウガンダでは「内戦」にcivil war ではなく、insurgencies という言葉を使う。
長い内線が終わったのも束の間、テソではちょうどJICAがプロジェクトを放棄した直後の2000年からLRAの被害に悩まされる。LRA(神の抵抗軍)は北部のアチョリ地域から発した内乱だが、軍の配備が行き届いていない西ナイル地域、カラモジョン地域、テソ地域に影響を与える。不思議なことに、LRAの被害を甚大に受けた地域に限り、当時の(そして現在の)政権であるムセヴェニに強い反感を持って来ている場所であり、噂ではわざとムセヴェニがそれらの地域においてLRAを野放しにしたとも話されている。
カタクウィ・ディストリクトの一地域であるウスクは、カラモジョン地域にも近く、テソの中でもLRAの被害を大きく受けた地域でもあるという。私も昨年にはLRAの駐留地として使われていたという学校も訪れたことがある。
オジイロットは2005年頃脳卒中で倒れ、その後は右半身が不自由となっている。オコリモはパリッシュのチーフと選出されたが、度重なる洪水や飢饉などに悩まされ、日頃の食にも困る状況だと私に語った。
そうしたテソの地を背景にして、オジイロットたちは「ナガシマはどうしている?」と私に訊いた。テソでの今年の雨季での収穫は少なく、かれらの目も血走っている。「ナガシマからの連絡はまったくない。どうしているのだろう?」
かれらのこの口調での聞き方は「何かお前は言付かっていないか?お金か何か預かっていないか?」を実は意味している。
以前にJICAを引き連れて、テソにやってきた長島さんは、「いままで開発援助とかに批判的だったあなたが、なぜいまさらこんなことをするんですか!?」と阪大のK教授に訊かれたとき「それは、テソの人たちにお礼をしたいからだ」と答えたという(K教授からの私信2006.12.21)。LRAの被害を避けたJICAにはテソからの撤退は幸運だったろうが、長島さんとオジイロットたちには、悔しいことであったろう。
ウスクの学校に、とりあえず校舎を増築させる計画をディストリクト(県)の職員と話す。もちろん、これから審査にかけるからどういう状況になるか分からないが、概ね採択されるだろう。その学校で長島さんはオジイロットたちを相手に歴史の授業を行ったという。ウスクはいまだに古い慣習が残る場所と、ジェロームは言っていた。だからナガシマがあそこを選んだのは分かるという。
長島さんの調査の40年後、その地を訪れることを、私は初めて『テソ民族誌』を読んだとき、予感しただろうか。15年前にその本に出てきたオジイロットたちと出会ったときの感動は忘れていない。そしていま、その長いテソと長島さんの関係の歴史を、少しだけ寂しげに見ている自分がいる。
写真はオジイロット(左)とオコリモ(右)。二人は異母兄弟である。6月18日の午後にウスク女子小学校の校庭にて撮影。