「王国」と「共和国」についての覚書(2):マムダニの理論的欠点 |
(先日の記事「『王国』と『共和国』についての覚書(1):ウガンダと『分枝国家』」からの続き)
さて、マムダニの『市民と臣民』について、ある意味で肯定的に要約を行ってきたが、彼のこの研究の出版が20年も前のことを考えると、批判的に言及できる部分は少なくない。
例えば、彼はこうした分枝国家の特徴を端的に植民地行政機関が存在した都市部と農村部とを分けて、その二極的な構造を劇的に示したが、王国の統治が王国の首府のある都市部でもなされていたことを考えると、都市部があまりに明確に「市民」と「臣民」の法規範に分かれていたこととは信じがたい。その分析構図をアフリカ全体に当てはまるあまりに、著作の中で移民などの流動的な要素を重要なものとみなしつつも、都市部と地方と単純に二分化してしまったことで、その両方にまたがる対象の二重性についてはあまり分析のメスを向けていない。
また彼は原住民局という慣習法を司りながらも、地域的な実権を握っていた地方行政を批判的に描写し、そしてそれに基づく「部族」の境界が植民地政府によって人工的にもたらされたことを指摘しているものの、王国に基づいた「慣習法」や「民族」がまがりなりにも移民を含めた人々の帰属を規定し、実践的に施行されていった経緯については、あまり重視していないように思える。つまり「王国」などの文化的、かつ政治的なファクターがどのように人々の日常的現実として受け止められているかについては(彼の政治学的な分析と資料の限界から)、無自覚な部分が多い。
若干ないものねだり的な批判にはなるが、彼の議論は、政治経済など具象の事例についてかなり広範で的確で手堅い分析を行っている反面、政治の情動性や人々の王国/首長国への主体化=従属化などについては(90年代後半からフーコーの統治性を中心に繰り広げられた「主体化」の議論がもちろん含まれる)、理論的に対応しておらず、そのタイトルの「市民と臣民 Citizen and Subject」を、いまの視点では若干裏切ったものになってしまっていることは指摘せねばならないだろう。
もちろん、こうした理論的な弱点(!?)は彼の後の著作でフォローされてはいる。たとえば彼が1997年のコンゴ内戦に関する調査を踏まえて発表した論文の「アフリカの国家とシティズンシップ」では、ウガンダールワンダーコンゴ民主共和国の三国間における移民の流動性と固定化されない帰属性が、「国家」と「シティズンシップ」という現代的な保障システムにおいて、どのような不安定な位置づけがなされているかについての現実的な分析を試みている。
また2009年に発表された『救うものと救われるもの Savour and Saviour』は、スーダンのダルフールの虐殺をめぐる国際救援運動と地域的な政治運動のギャップを指摘しつつ、「救うもの」の主体と「救われるもの」の主体の違いを際だたせ、国際政治と地域政治における錯綜する「主体」の意味についても問い直しを行っているものといえる。
そして2012年には、『市民と臣民』をアフリカだけでなく、世界的な植民地と欧米近代の政策分析と理論とに適用させるように、『定義と支配 Define and Rule』を発表し、植民地支配で培われた人類学的な知見と支配の技術が、いかに接合して「民族」をベースにした間接統治を編み出したかについて改めて論じている。
だが、それにしてもマムダニの議論で物足りないのは、どうにもこうにもアフリカ政治における「個」の視点である。あるいは、彼は政治経済的な基盤の分析をもとに、政治の動態について考察を深めていくそのやり方ゆえに、マルクス主義的な上部構造として社会や文化への考察は若干物足りなく思える。初期の彼の著作(『ウガンダにおける政治と階級形成』,1976)でも顕著であったが、彼の研究ではマルクス主義的な下部構造への分析が優先され、下部構造が上部構造を決定するような枠組みにおいて、その政治学的な分析を進めているように思える。
実際のところ、先に述べたような理論的な弱点/盲点やマルクス主義的な偏向に関わらず、マムダニの議論がアフリカにおける政治学において重宝されているのは、この都市部と地方の分枝的な状況、ある種の二分法によって現在のアフリカ諸国の社会情勢について説明できる部分が多いからである。
例えば、日本のアフリカ研究において、峯(2007)はマムダニの『市民と臣民』を参照にしながら、アフリカ諸国の1960年代の独立以後、もしくは90年代の冷戦以後の国際政治構造の変遷から、多くの国が内戦に見舞われ、紛争後に政治的安定を探る道を模索した経緯から、ポスト・アパルトヘイトに悩む南アフリカと、北部の内乱に悩むウガンダとを比較し、二国の特徴的な政策(南アの権力分有とウガンダの無党政)の有効性について分析した。彼はマムダニの2005年に公開されたムセヴェニ大統領への書簡(「死者だけでなく生者とも和解する」)の全訳を載せながら、ウガンダのムセヴェニの二極化する国際評価(反テロ拠点としてのウガンダの、地域としては例外的な政治的安定と、大統領任期期間を改憲の上に取り外した長期独裁政権への怖れ)について触れ、ウガンダの将来を慮り、かつマムダニの政治的スタンスとその政治的助言の射程について言及している。
しかし、峯や他のアフリカ国家研究というある程度政治学のスタンスにおいて、マムダニの分析手法や視点は擁護できるにせよ、人間の感情や行動、そして一つの実践を見る人類学の視点においては、マムダニはどうしても具象のみを対象にした静態的な手法にて留まっている。彼は例えば、以下のような問いに対して答えることはない。この「分枝国家」に帰属する人々は、この「分枝」的な矛盾に気づいていないのか? その葛藤がかれらの心性に何か影響を及ぼすことはないのか? 都市部での移民の人々の「慣習」は実際のところ、その「分枝」的な状況において、どのように実践されているのか? 葛藤でなく、どちらかを選択するのか、それとも調整するのか?
このような問いを、では人類学において考えてみよう、というのが次の節での課題である。
(この項続く。写真は農村部での料理中の風景より。2009年5月9日にエンテベ郊外において、著者による撮影。)