女たちは踊ることができるか?(3) 「1-3節 スラムにおける貧困と女性」 |
カンパラでの調査の初期でマケレレ大学の学生寮に滞在していた折、大学のスタッフ(ウガンダ人)にスラムの調査をしているという話をしたところ、「ああ、マラヤ(娼婦)の巣窟か!」と冷笑気味に扱われたことがある。「あそこのナムウォンゴ・スラム前のマーケット横に、だいたい客引き用の安宿が並んでいるんだよな。そんなところで調査をやっているのか?」
彼のスラムとマラヤとの関係についての認識は大分の部分で間違っている。まず、スラム前のホテル(多くは一泊5,000~10,000シリング程度の安ホテル)に寝泊まりする客は週ごとに開かれる市場で商売をしているものや、郊外での安宿を都心から逃れてくる人々がほとんどで、連れ込み宿としての機能は比較的薄い。またスラム前の宿にスラム住民でもあるマラヤ(娼婦)たちが客を取って寝ることはない。それはスラムの住民たちにとってあまりにスキャンダラスな行為で、人目を気にしない人物のみが行いうることである。調査助手のゴドフリーが自らの家で大家業をやっている経験から述べたところ、多くのマラヤは世間の評判を気にし、自分の借りた部屋の近所の者からの噂を怖れるがゆえに13)、「娼婦」であることを隠すという。普段の彼女らは都心でオフィスの仕事を得ている、もしくは飲食店でウェイトレスの仕事をしていると周囲に偽っている。ただ身なりや生活のサイクルから、その職業は公然の秘密ではある。
だが、それでもスラム出身のバーガールやマラヤは多い。彼女たちは自らの出身を隠すように、自らのスラムの住まいから離れた場所の酒場で、ビリヤードをつき、酒を飲み、男性たちと臥所をともにする。
貧困層出身のマラヤやバーガールが多いのは教育での中退率の高さとの相関関係を示唆する議論が存在する[Davis 2000, Edlund and Korn 2002]。だが学校での中退についてはさまざまな社会的要因が複数入り組み合う形で存在し、「貧困」という要因だけでは計れない。
私がスラムでの調査中に観察した事実では、学校を中途に退学した子どもたちはそれまで築いていた学校での人間関係から切り離され、かつ家事に追われない状況であれば、そのことで暇を持て余し、近隣地域以外の人間関係を求めはじめていく。あるいは家事に追われる毎日にうみ、家族と衝突を起こすことで、家を出て、夜の盛り場に繰り出していく。そして、彼女たちはまずはバーガールとして、そして場合によっては自らの経済的な自立につながるマラヤとしてクラブに出入りをはじめる。
調査地のナムウォンゴ・スラム出身のバーガールとして出会った女性二名はそのような経緯でナムウォンゴから二キロほど離れた歓楽街のカバラガラに出入りしていた。一人はシングルマザーとして先述したアチョリ出身のニーナ、もう一人は西部のコンジョ出身のベティである(ともに仮名)。
カバラガラの代表的なクラブ、キャピタル・パブでニーナと出会ったのは2007年の6月ごろのことである。内戦によるIDP(国内避難民 Internally Displaced People)としてナムウォンゴ・スラムに家族で逃げこんできた当時18歳の彼女は、カンパラに移って間もなくP4(小学校で4年にあたる)で学校を中退した。中退理由は当時に通っていた小学校の授業料の未納によるもので、彼女の世帯は彼女の兄、兄の妻、その子ども二人、そして妹二人という7人の世帯で、かつ兄マイケル(2007年時27歳)は失業中だった。また父親と母親は飲酒癖から家から離れ、その世帯に属しておらず、月に一、二度に酒を飲むためのカネをたかりにくる程度であった。
ニーナが述べるところ、カバラガラのクラブに出入りする理由は、主に踊ること(ここには必ずしもセックスは含まれない)、そしてソーダを飲むこと(飲酒ではなく、そしてふつうは一緒に踊ったものにおごらせる)だという。そこでマラヤとして稼ぐことはなく、スラムから出て、誰かと話すことが彼女の欲求の第一としてある。もちろん、その夜遊びは家族からはよく思われていないが(家族はスラム内での風評としても自分たちの一員がマラヤとして語られることを避ける)、彼女について監督責任がある兄がその行為について厳しく述べている様子はなかった。ニーナはその後、クラブで出会ったカメルーン人の子どもを妊娠し、その後2010年に彼に引き取られるかたちでナムウォンゴを去った。
ベティはコンゴ民主共和国が出自であるコンジョKonjo(コンゴ側での民族の呼称はナンデ Nande)の出である。2015年の調査時で21歳。父親、長兄と次兄の二人、長兄の妻、姉二人の環境の中で育った。13歳時にナムウォンゴ近くの小学校を中退。その後、家出を繰り返し16歳の時に妊娠・出産。その後に失踪。2015年の調査時にスラム内で薬物の影響で正気を失ってさまよっていたところ、家族に見いだされた。
父親のバルークによると彼女が学校に通い続けるよう学費の捻出など苦心したが、ベティは「学校を嫌い、家事を嫌った」。バルークは主な収入を夜警(アスカリ)の仕事から得ているために、彼女が夜遊びに出かけないかどうか、夜の間は家におらず、監督することもできずにいた。また、ベティ自身も父親が代わりに提案した、兄と兄の妻の世帯で一緒に生活することを嫌って、家を出て、祖母の家に寝泊まりしていたという。その間に、カバラガラのクラブに出入りをし、ボーイフレンドを作った。その後、妊娠がわかり、バルークとは別居している母親の元で出産を行ったが、その後に子どもを連れて失踪した。
その後、様々な経緯から子どもはベティのもとから施設に引き取られたが、彼女は家に戻ることなく、カバラガラで売春業を行い、娼婦仲間たちで借りる家々を渡り歩くことで暮らしを立てていたという。
アルル人であるキオスク店主のマーガレットに、カンパラにおける家出する女子たちについて聞いたことがある。彼女曰く、貧困家庭においても、そして普通の家庭(中産階級)などにおいても、家出をして行方知れずになる女子の話は非常に多いという。そして家出をするのは男子ではない14)。常に娘たちである。そしてマーガレットは亡くなった妹の娘であるローズを引き取っていたが、学校と家事について厳しい態度のマーガレットに反発して、その姪が数年前に失踪したことを述べた。ローズはいまだにマーガレットの元に戻ってきていない。そしてマーガレット自身も数年後、夫に離婚されたことで、店を引き払い幼い娘を連れてカンパラを立ち去った。
十代の女性たちが学校を中退し、そして家を出る状況は副次的に貧困の問題に関わっていることは確かに指摘できるかも知れない。ニーナの事例では、それは直接的な中退の事由であった。だが、ベティとマーガレットの姪のローズは学校の中退(少なくとも経済的な理由によるものではない)から社会との関係性を失ったのでなく、家庭での居場所がないことから、学校を中退し、家を出ていったのである。
注
9) 2010年11月に筆者が調査を行ったカンパラの郊外のナムウォンゴの魚市場においても12名の売り子の女性の中、未婚女性は2人であり、それも母親や親族らの手伝いとして加わっているに過ぎず、魚市を取り仕切る話し合いなどにおいて加わることがなかった。
10) その未婚女性がマーケットにおいて店を持てない理由としては、店を持つまでの資本を得ることが既婚女性と比べて難しいことなども理由の一端としてある。
11) エアタイム(airtime)は携帯の先払い通話料のサービスであり、たいていは携帯電話会社によるパスコードが記載されたカードを購入することによって、通話料金の支払いを行っている。それらのカードをキヨスクなどに売り歩くために一定数の人々が従事している。小売りとして500から1万UGXまでのカードがある。
12) ガンダ(Ganda:(複)baganda,(単)mugannda)はカンパラを中心とするウガンダ南部の民族名。王であるカバカを首長とし、植民地時代から行政や官僚の中心を担わされていた。国名のウガンダはこのガンダの民族名に由来する。アンコレ(Ankole:(複)banyankole,(単)munyankole)はウガンダ西部に集まる、現大統領ムセヴェニの出身民族。ウガンダの内戦(1981~1986)に終止符を打ったNRA(国民抵抗軍、現在の国防軍のUPDFの前身)と政府要人の多数はこの民族出身であり、NRAの影響から西部のチガ、トロ、ルワンダ系移民、フンビラなどはアンコレの係累に連なるとカンパラではされている。
13) この近隣のコミュニティに対して、自らの生業を認めないことについては後の節で説明をする。
14) カンパラではストリートチルドレンの多くは北東部のカラモジャ地域の出身であり、ケニアのナイロビ郊外などにみられる男児たちによるストリートチルドレンのコミュニティは稀である。
(この項続く)